5:30のタイマーに目を覚ます。
外を見なくても雨が降っていることがわかるほど窓ガラスが音を立てている。
昨日仕入れておいた朝食をガサガサと袋から出す。
宿の遅い朝食が待てないほど、少しでも早く雨の中を歩きたい訳ではないのに・・・とむなしい雨音を聞きながらおにぎりを胃袋につめ込む。
6:30夜須町サイクリングターミナルを発つ。
かなりの風雨にめげそう。
「この雨だから、予定の31番はやめよう」と私。
「そうか・・・・」とついてくるだけ(?)の夫は言った。
1巡目で味わった「何故こんなにしてまで歩く?」を思い出す。
自分ひとりならまだしもと、このときは妙に夫を気遣う自分だった。
雨の中までつきあわせ申し訳ない気持になったのである。
歩きながら「ごめんね」と勝手に言ってみたが、雨風や波の音で聞こえなかったのか夫は無言だった。
文句をいうでもなくお遍路につきあってくれる夫に不満などない。
むしろ感謝している。
ただこのときは、夫を気遣い過ぎている自分が嫌だったのである。
夫から常々言われている「気遣い過ぎ」を自問自答しながら雨の手結岬をぐるっと回った。
「これが手結可動橋?」という夫の言葉に腹を抱えて笑った。
跳ね上がっていないそれは見るに値しない普通の橋に見えた。
橋に過分な期待していた自分がちょっと可笑しかったのだが、本当のところは緊張が解けた安堵の笑いだったのだと思う。
香我美遍路小屋に近づくと、小屋を管理しておられる三浦さんは待ちきれず随分手前まで迎えに来てくださっていた。
「5年前もこんな雨でしたね」
「あの時は安芸からだったので疲れきって歩いていました」と私。
正確に言うと4年半前のお接待が初めての出会いである。
その後の車遍路のときにも寄っているので今回は3度目になる。
初めての出会いのときに聞いた遍路小屋を作りたいという話が実現したので、車遍路のときに見にいった経歴がある。
そんなにゆっくりするつもりではなかったが、ついつい話し込み、気がついたら8:20。
予定は大幅にくるっていた。
赤岡の町を歩くころには、遅くなりついでと絵金蔵に寄ってみた。
といっても開館時間の9時に30分も早い。
「せっかくだから見ていこう」
その夫の一言は迷っていただけに本当に嬉しかった。
30分が待てずにもくもくと先に進むことばかりの自分を止めてもらえた気がした。
幕末の天才絵師・弘瀬金蔵(狩野派)の屏風絵はタイトル通り『恐ろしくて美しい』絵だった。
薄暗い部屋に置かれた『修羅を描いた芝居絵』を提灯(乾電池)でかざして観る。
絵(複製画)の前に置かれている蝋燭(電気)が揺らめくと、描かれた人間が動き出さんばかりの迫力だった。
本物は壁に空けられた穴から覗き見るようになっている。
こんな心憎い工夫 は見るものの心をわしづかみにする。
東西2キロ足らず、全国の市町村のなかで一番小さいといわれている赤岡にこんな素晴らしいものが今なお大事に残されていたのだった。
記念に手拭を買った。
感動さめやらずで表のベンチで休憩していたら、男性遍路がやって来た。
我々の横に腰掛て靴を脱ぐや否や、靴下を脱ぎジャーと絞った。
靴の中がそんな状態になっていたことに驚き、どこから歩いてきたのかと尋ねたら安芸だといっていた。
寒いと言うので、せっかくだから絵金蔵をみてきたらどうかと薦めたら入館していった。
10:00ようやく歩き出す。
横殴りの雨の中、交通量の多い国道55線をうつむいて歩く。
すねに違和感を覚える。
実は、前々日の宿で洗濯しているときに左足の小指をしたたかぶつけた。
幸い靴下を履いていたが、爪がはがれたと思うほど痛かった。
それをかばって、いつもと違う筋肉を使って歩いているからなのか。
今晩の夜行バス(10:20)で名古屋に帰るのだが、打ち終えてからの時間を潰そうと予定している『高知黒潮ホテル龍馬の湯』に着いた。
「30番を打ち終えてこちらに戻るので、不要な荷物を預かって欲しい」
「龍馬の湯にはロッカーはない」とつれない返事。
それでも無理をいったら辛うじて下足箱を借りることができた。
軽くなったザックに気をよくして歩き出したのだが、10分ほど歩いたところにあったマルナカというスーパーの食堂に入ってしまった。
まったく今日はろくろく歩いていないのに立ち止まることが多い。
昼食後20分ほどでようやく28番大日寺に着いた。
1巡目のときも雨だった。
あの時はここで区切って高知駅まで出るバスを待っていたのだが、待てど暮らせどバスは来なかった。
そんな私を見るに見かねて、野市まで車に乗せてくれた人のことを思い出す。
止みそうで止まない雨の中を29番に向かって歩く。
物部川を過ぎると雨は幾分か止んできた。
ずっと続く田畑の中を道しるべに導かれ歩く歩く歩く。
右手に見える遠くの山は靄をまとい水墨画を見ているようだ。
振り返ると、物部川を挟んで向こうの山の中腹に28番大日寺が見える。
戸板島橋を渡るために大回りをしてきたことがわかる。
鼻をつく臭いにきょろきょろ見渡すとハウスの中にはびっしりとニラが栽培されていた。
私はニラが好きである。
であるが、猛烈な臭いに閉口した。
ハウスの中は窒息するのではないかと思ったほどだ。
帰宅後、いつも買うニラの袋を見たら土佐山田のニラと書かれていた。
ここのニラをいつも食べていたことを初めて知った。
ある遍路小屋に2:00ちょっと前に着いた。
(1時間後に気づいたのだが、地図の読み間違えだった。本当はJR沿いの遍路小屋より900mほど手前の新しい遍路小屋で休憩したのだった)
休憩しながら30番を打つのは無理だということは容易にわかった。
あと1時間ほどで29番を打てるが、JRから離れていくことが嫌だった。
自分でも驚くほど怠け遍路になっていた。
結局は先月に捻挫をした右足の違和感が私にブレーキをかけた。
早合点をして完全に地図を読み違えていた私は、御免駅に向かうはずが、御免町駅と立田駅の真ん中に向かっていた。
尋ねる家もなく、仕方なしに葬儀場に入って道を尋ねた。
「バスは通っていますか」
「いつ来るかわからんほど来ん」
ごめん・なはり線に沿って国道364号を立田駅に向かう途中、これは事前に調べておいたバス路線のような気がした。
本来乗ろうと思った1本前(1時間半前)のバスが通るのではないかという予想が的中した。
3:31立田駅前からバスに乗って、3:40『龍馬の湯』前で降りた。
真面目に歩いておれば29番を当に打っていたが後の祭り。
冷静さを失い正しく判断できなかった自分に苦笑した。
だからお遍路は面白い・・・と負け惜しみだが偉そうに言ってみたくなる。
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そんなこんなの疲れのなか『龍馬の湯』はいい湯だった。
施設も長時間休憩するにはよかった。
しかし風呂上りに瀕死状態の左足小指をまたしたたか体重計にぶつけた。
飛び上がる痛さだった。
体重なんかなんで量ったのかと悔やんだ。
もう爪は生きてはいまいと思った。
2階で8時半まで毛布を借りて寝転んでいた。
左足の小指にとどめを刺さなかったら、もう一度温泉に浸かるつもりだったが残念なことにできなかった。
8:59野市から電車に乗り、9:35高知駅に出て、10:20発の夜行バスに乗って名古屋に帰った。
何だか今回は最後の最後に痛い思いをしたお遍路だった。
これは何を暗示しているのだろう。




