女友達3人で1泊2日の温泉旅行なるものをした。
この友達のお陰で、私もこのようにまともな旅行をすることがある。
決して4月1日のエイプリルフールではないので念のため。
3月31日、まず城崎温泉に向かう。
はるか昔、国語の教科書で習った「志賀直哉の城崎にて」を思い出す。
が、覚えているのは題だけで内容はまったく覚えていない。
何十年かたって、その城崎に来る機会を得たわけである。
山をやるものとして、やはり城崎全体を見渡す高い所に登りたい。
というわけでロープウェイで大師山に上がった。
生憎の曇り空だけれども、城崎の全体像は、こんな感じ。
奥に見える大きな川が円山川で、左奥の日本海に流れ出る。
こんなとき決まって思うことは、この円山川の源泉はどの山だろうってこと。
振り返ると高い山があったので、それかなと思った。
下山する途中にある「温泉寺」と「城崎美術館」に立ち寄る。
温泉街だけあって「温泉寺」とは忘れない名前である。
ちなみに、高野山真言宗、お大師様が祀ってあった。
南無大師遍照金剛を唱えたからだろうか、願ってもないことが起こった。
強風でロープウェイを動かせないので歩いて下山してほしいとのこと。
何たるラッキー、歩いて行けるなんて願ってもないことである。
私はルンルンで降った。
お陰で、ショウジョウバカマやスミレが咲いるのも見られた。
山をやらない連れのふたりが辛かったことは言うまでもありません。
宿でもらった外湯めぐりの無料券で3つの湯につかる。
もう少し入りたい心境だったが、のぼせてぶっ倒れても困る。
などと考えていたら雷が鳴り始めた。仕方なく宿に戻る。
蟹・蟹づくしの夕食だった。
なかでも、右側にある皿そばが興味深かった。
まぁ、椀こそばのお椀がお皿になったようなものでしょうか。
出石(いずし)そばといって有名であるそうな。
夕食後、連れのふたりはエステなるものに出かけた。
何分か知らないが6000円もするという。
山で紫外線浴びまくりの私はエステは無縁である。
夕飯を下げ、布団を敷いてもらったら連れを待たずに寝てしまった。
明朝、連れ(同い年)の顔をしげしげ見たが、あんまり・・・・だったが老眼のせいだろうか。それとも後日成果が現れるのだろうか。
翌朝、城崎温泉から天橋立に向かう待ち時間、名残惜しく駅前を眺める。
城崎温泉駅前の駅舎温泉さとの湯はなかなか立派な建物だった。
右端にそれをスケッチしている浴衣姿の人がいるのだが、この温泉街は無料でスケッチの道具を貸してくれるそうで、昨日も方々で見かけた。
天橋立駅から観光船に乗って対岸に渡り、ケーブルで傘松公園に上がる。
すると、お決まりの・・・・・
股のぞき台がある。
少なからず抵抗があったが勇気を出してポーズ。
お天気なら素晴らしい景色なのでしょうが、生憎の曇り空で日本三景のひとつといわれてもぴんときません。
余談だが、民謡で「・・・縞の財布を・・・丹後の宮津でぴんと出した~」というのがあるのだけれど、このぴんとは何だろう?
ここでまた山をやるものとして更に上にある成相寺(西国28番札所)からの景色が気になる。
昼食時間を利用して私だけ単独行動をとる予定だったが、急に連れも行くというので一緒にお参りした。
線香・蝋燭・納め札・写経を納め、きちんと般若心経も唱えた。
西国を歩く人がいるが、ずいぶんの距離だろうと想像する。
ここからの景色は、生憎の曇り空でさっぱりだったが満足だった。
傘松公園に戻ったら少し天気が回復したがご覧の通り。
五分咲きの桜越しに、日本三景のひとつ天橋立を間近に見ながらリフトで降った。
海岸沿いにバスで30分揺られ、伊根湾着く。
ここも長年来たいと思っていたところ。
船に乗って伊根湾めぐりをする。
船に決まってついてくるかもめの大群の中に、とんびもいた。
船を下りてから散策して気づいたことだが、蔵が多く立ち並んでいた。
網とか漁に使う道具を納めるための蔵だそうだが、もはや使われている気配がないものが多い。
海からの入り口にコンクリートを流し、車庫にしている家もたくさん見た。
やはり時代の流れというものなのでしょう。
海側から見るこの舟屋の景色が、だんだんなくなっていくのは残念に思う。
帰りは天橋立を自転車で戻ろうという計画だったが雨が降りそう。
帰りも観光船にした。
またもや名残惜しく振り返ると、高台に股のぞきをした傘松公園が見える。
もう来ることもないだろうと心の中で手を振った。
この晩、京都経由で名古屋に戻ったのが21:44。
駅に夫が迎えに来てくれた。
至れり尽せりである。
夫に恵まれたお陰で、我々女3人は楽しい旅をすることができた。
この旅で更に夫達への感謝の気持を抱いたのであった。おしまい