5回目の今回は、知多半島先端の師崎港から島に渡る。
(1~4回目は左端カテゴリーの知多四国を参照してください)
日間賀島に1ヶ寺、篠島に3ヶ寺あり、時間にしたら2時間半ほどで回れるようなのだが、子供の頃、海水浴で何度か訪れたなつかしい所なので、2島めぐりでゆっくりすることにした。
島での歩く距離はたいしたことないので、母親、妹、姪(高校1年)を誘って出かけた。
8:00夫の運転で自宅を出発
9:10師崎港駐車場に置車
9:30日間賀島行きの高速船に乗船
少しお値打ちになってるお遍路用周遊券を購入。
海は穏やかで揺れることもなく10分ほどで日間賀島東港着。
日間賀島名物のたこに出迎えられる。
このたこの右奥の坂を上がって数分のところに鯖大師があった。
四国の鯖大師を思い出すが何の関係もないらしい。
知多四国の札所でも番外でもないのだが何故か素通りは出来ず、この寂れたお寺に立ち寄る。
●37番大光院
日間賀島唯一の札所である。
お遍路初めての姪は、お灯明と線香の作業がめずらしいようだ。
順調に打ち進み、日間賀島西港まで小一時間散策する。
桜はまだ早いが、それでも2~3輪咲く桜を愛でた。
今日からアサリ漁が解禁とかで、収穫したアサリを見ながら西港まで歩く。
予定していた船より10分早い臨時便11:15に乗り篠島に渡る。
古くは伊勢神宮領として海路要衝の地として栄えたそうだ。
篠島へ上陸したころは、お昼時間。
だけれども海水浴シーズンではないので、食堂らしきものはまったくない。
そんなとき地元民宿の呼び込みのおばさんに運よく遭遇。
私はさしみ定食を食べた。
姪が食べた煮魚定食も美味しそうだ。
昼食後、島特有のこんな道を上がる。
階段は高齢の母には多少きついが、直に札所だった。
●38番正法禅寺
お寺は階段状に延びる墓地の入り口だった。
母は9年前に(平成10年)に知多四国を回っており、その折の納経帳に重ね印をもらう。
38番からさらに階段を上がること数分、番外西方寺に到着。
込み合った家を縫うように上がってきたことがわかる。
境内では梅の木をチェンソーで無残と思うほどばっさり剪定していた。
般若心経を唱えている間中うるさく、おのずと大きな声を張り上げる。
西方寺から一度下って島特有の小道を行く。
すると「帝の井」という井戸があった。
なんでも、1338年後醍醐天皇の皇子・義良親王が篠島に逃れた際に掘った井戸らしい。
今では使っている様子はないが奇麗でない水は満々とあった。
徳川家康が本能寺の変による伊賀越えの後、このお寺に一泊したと伝えられている。
さらに、この本堂は1744年伊勢神宮西方殿の用材を下賜せられて改築し、島内最古の木造建築らしい。
保育園が併設されており、日頃は島の園児がこの境内で遊んでいるのだろう。
今回のお遍路は、ここで区切る。
休憩していたら団体さんがどっと来た。
添乗員が大きな荷物を抱えて来たと思ったら納経帳だった。
みながお参りしている間に納経を済ます例の団体である。
我々が休憩している間に団体さんはもう帰り仕度。
きっと船の時間があるのだろう。
団体に混じってこんな階段を下りてきた。
磯の匂いがするとおもったら、わかめが干してある。
さらに見下ろすと・・・・
海岸沿いに奇麗に箱が並んでいる。
地元の人に尋ねたら、小女子(こうなご)だそうだ。
一度茹でてから天日干しするという。
ものすごい量に驚いた。
海水浴場の方へ出てみたら、素晴らしい景色だった。
ここでもこうなごが干してある。
今日は晴天なので、いい具合に干しあがるということだった。
船着場までぶらぶら歩くと・・・・
山頭火の句碑に出合った。
昭和14年の春に訪れているらしい。
やっと一人となり私が旅人らしく
出船入船春はたけなわ
3:30篠島港を離れる。
何十年ぶりに訪れた篠島だったが、もう来ることはないだろうと思った。
アサリ漁が解禁となったのだから、アサリをお土産に買う。
1キロ1000円、結構大粒だった。
せっかくだから夕飯も海の幸にした。
こんな夕陽を見ながらの夕食は、四国遍路での御荘町にあるドライブイン・ビーチ以来のことだった。
家族で楽しく過ごした一日だった。