2007知多四国27~36番

4回目の知多四国お遍路に出た。
(前回までの記録は、カテゴリーの知多歩き遍路を参照してください)

7:35自宅を出発。
名古屋駅までは、いつも通り自転車をぶっ飛ばす。
2本見送って、7:55発の河和(こうわ)行きに乗車。
今回は、終点まで乗って行くので、居眠りしても大丈夫である。

8:47河和駅に到着。
ザックを担いだ山行グループを横目に、笠と杖を出し仕度する。
四国のように笠や杖を持つ歩き遍路は少ないので、同じ山をやるものとして、ちょっと恥ずかしいというか、お遍路の仕度は勇気がいった。
どんな山に上がるのかなぁ・・・と雑念いっぱいで歩き出した。

今日は河和駅から知多半島先端にある師崎(もろざき)まで16.5km歩く。
札所でいうと27番から36番である。
詳細は こちら を参考に。

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とても2月と思えない暖かい日が続き、梅はほぼ満開である。
メジロが喜んで飛び回る。
それにつられ、私もあちらこちらと梅に誘われどんどん歩く。

日当たりがいいところでは、沈丁花も開花している。
うん、これもいい香り。
オオイヌノフグリの青と菜の花の黄色がとても奇麗で嬉しくなる。
こんな暖冬だと、受験シーズン中にサクラチルなんてことになりはしないだろうか・・・せめて桜は例年並みに開花して欲しいものだ。


●27番誓海寺・番外禅林堂
 9:45~10:15
河和駅から4kmを歩いて58分、坂を上がって立派な山門前に出た。
ここは2ヶ寺が同じ境内にある。
鐘をゴォ~ンと撞いてみた。
奇麗にお手入れされたお庭を見ながら階段を上がっていくと、車遍路さんが数名いて、なんかお四国を思い出すような光景である。
さらに、納経所では「歩き?みかんをどうぞ」とお接待をいただき、ますます気を良くする。
こういう出会いを願って撞いた鐘のご利益がもう顕れたのだった。

この先は南知多道路に沿って南下していく。
道中「つくだに街道」という看板がやたら目に付いた。
変った街道名だと思ったら、大きな佃煮屋さんに出た。
観光バスが立ち寄る土産物屋で、佃煮を専門に扱っている。
立ち寄って、ししゃもの佃煮・あなごの干物・食べる煮干など買った。
食べる干物は、再来週の雪山テント泊に持っていくつもり。
酒の肴に軽くっていい。

●28番永寿寺 11:28~11:40
途中つくだに街道に25分もいたので、3kmを1時間13分かかって到着。
境内は誰もいない。

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大師堂の窓が、鐘の形をしていて面白い。

Img_0049 28番参拝後、山門脇のお地蔵さんの写真を撮っていたら、歩き遍路の男性が角からひょっこり現れ「歩いているのですか」と聞かれた。

杖も笠もない人だが、仲間だと思った。
縁があるならまたどこかで会うはず、どちらからも話し込まなかった。
次に出合ったときのお楽しみなのだ、ひと足先に出た。

「今回のお遍路、何だかいいねぇ~」と言っても、夫はなぜか冷静。
私だけうきうきしていたようだ。

まもなく山道に入り、トンネルのような竹林の遍路道を降っていく。
ところどころ、散り椿が道を赤く染めている。
立ち止まって仰ぎ見ると、びっしり花をつけている。
山の中では大概、散っている花や葉を見つけてその木の存在を知る。
そんなところが何ヶ所もある素敵な道を歩かせてもらった。
私は勝手に、ここを「散り椿の遍路道」と名付けた。

その道の終点は、私の好きなピンクの椿だった。
それは廃屋の前の庭に植えられた大木で遠くからでも目立った。
ピンクの散り椿の一円が、木の大きさを表している。
たっぷり咲いている花が毎日少しずつぽたぽたと落ち、この先ずいぶん楽しめそうだ。
ここを空家にしておくのはもったいない。
こんな静かな山奥で、散ってもなお美しいこの椿と暮らせたらなぁと、いつもの癖でしばらく勝手な想像をした。

そこから50メートルほど降って乙方という集落に出た。

●29番正法寺 12:22~12:45
2.6kmを42分かかって到着。
お寺にしてはめずらしい赤レンガ塀に沿って境内に入る。
近年に火事があったそうで本堂も大師堂も新しい。
そのせいなのか、大師堂前にあるはずの灯明や線香がうんと離れた手水場横にあった。
参拝後、6mを越す厄除大観音像の足下でおにぎりを食べる。

ゆるい坂をずっと登っていくと・・・・

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山を切り開いた三河湾が望める高台に出た。
ここまで来ると、車も人も家もない。
畑がどこまでも続く。
梅も菜の花も満開、小鳥はさえずり、大空には鳥が飛び交う。
そして風は、私を確かめるかのようにやさしく寄ってくる。
そんな至福のときを味わった。

下調べをしておいた山越えの道を行ったのだが、最後に道を間違えて、思ったところに降りてこられなかった・・・残念だった。

●30番医王寺~5ヶ寺 2:00~3:23
私の調べでは3kmほどなのだが、道草しまくって1時間15分かかった。
そうそう10分ほど、途中でコーヒタイムをしたっけ。

ここ大井は、諸国行脚の弘法大師が三河から船で上陸された所と伝えられている。
そんな理由からなのか、一山五寺で30~35番が集まっている。

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地元の女の子達がままごとをしながら奇麗に飾ってくれていた。
こんな気遣いは嬉しいものだ。

●31番利生院 
28番で出会った歩き遍路の男性(愛知県刈谷市在住)とここで再会した。
この方も四国を歩かれたそうで話が盛り上がった。
知多四国は4巡目とか。

●32番宝乗院
31番を出て10歩ほどが32番の山門。
ここで31番の納経もしてもらう。

●33番北室院
ここで30番の納経もしてもらう。
なんだか、こんがらかってしまう納経の仕方である。

●34番性慶院

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山門脇に興味深いお言葉があった。
なるほど・・・・私の視力の衰えは、こういうことだったのですね。
心の眼でしか見えないことの多さに改めて考えさせられる。

一気に5ヶ寺も打ったが、1時間25分も要した。

●上陸大師像 3:35~3:40
1kmほど12分歩くと、海の中に立っておられましたお大師さまが。

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弘法大師が三河から船で上陸されたと伝えられている場所です。
(上陸大師像の詳細は こちら で)
潮が引くと歩いていけるそうですが、このときは無理。
その奥に見える島は、今度行く日間賀(ひまか)島のよう。

風が強いのですぐ退散。
この先は危険な国道沿いを歩いた。

●35番成願寺 4:06~4:15
夫が釣り人に夢中で、遠回りしたのか1kmが26分もかかった。
今回の予定の36番まで何とか打っておきたいので、急いで参拝。

●36番遍照寺 4:40~4:55
2kmを25分で到着。

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こんな感じで、旅館の2階に橋を渡した下が遍路道とは珍しい。
橋の上で猫が気持よさそうに寝ていた。

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ここ師崎は、昭和14年春に種田山頭火も訪れた伝えられている。

        右も左も編み干してある花の散る道を  山頭火

ようやく知多半島の先っぽまで来た。
この先は、次回島に渡って打つ。

バスの待ち時間に食堂に入って、刺身定食を急いで食べた。
17:32のバスで河和駅まで戻る途中で暗くなってきた。
河和で名鉄電車に乗り換え、19:11名古屋駅に戻った。

朝の7:30に家を出て、夜の7:30に帰宅した。
楽しい12時間だった。おわり