平成22年10月11日(月祝)[E:sun]後半 屏
風岩の頭から本谷を見る↓(2008/10)
横尾尾根の天狗のコル(標高2700・写真↑○)に立つと絶景だった。
(Vのところが横尾から見えた部分のようです。)
目の前は前穂・北穂。見下ろせば本谷右俣・屏風岩。写真↑左奥に○横尾も見えた。
さて、ここから私はこの本谷右俣を降りる。バリエーションルートなので道などない。おおよその見当をつけていたら、男性がひとりひょっこり本谷から上がって来た。
その男性は、横尾から5時間かかったと話してくれた。ということは、下山の私はそれ以上かかるのだと自分に言い聞かせる。
10:20本谷に降下開始。まずは標高2500あたりの雪渓を目指す。
バリエーションお決まりのザレ場↑から始まる。足を取られ立っているのがやっと。草つきの方がいいかなぁとそちらへ行けば、見えない石に乗って転がりそう。どこも危なかった。我慢我慢と慎重に降っていく。
紅葉の中に降りていくのだから気持ちはめげない。下山開始から50分。ザレ場は終わり、天狗のコルから見た横尾尾根南斜面の紅葉に近づく↑。黄金色で美しい。
雪解けが遅いカール底には、驚くほどたくさん花が咲いていた。間もなく雪が降ろうとしているのに、その短い期間でも子孫を残そうと頑張っているのが健気だ。ミヤマリンドウ(左)やミヤマキンバイ(右)を踏まないように気をつけて歩いた。
カール底(2500)の雪渓から南岳(左)・横尾尾根(右)を見上げる。
途中何度も景色を見ていたので、天狗のコルからここまで1時間30分も要してしまった
左:南岳から延びる東南稜
右:横尾尾根
カール底は無風で暖かく、とても静かで、時間が経つのを忘れるぐらい居心地がよかった。
カール尻に向かうと谷は急に狭くなる。屏風の頭のほうが高くなったかな?
突然草地になり、ないはずの登山道が、わずかな距離だがうっすらついていたのには驚いた。獣道かな?一面チングルマという快適なところだけに小動物が行きかう道かもしれないと想像した。植生を痛めないようにその小道を通らせてもらった。
屏風の頭を目指して狭い谷に降りていくと、天狗のコルからでは見えなかったものすごい紅葉が現れた。↑12:20標高2200
この世のものと思えない最上級の景色に見惚れた。横尾尾根↑
↑南岳の方も素晴らしかった。人がいなくて静か。新鮮な景色に感動しきりだった。
「・・・[E:note]はーやーく 来いよ と 呼んでるぜ・・・・」
「来るのを待っていたぞ」・・・・なんて嬉しいなぁ~・・・・妄想はどんどんエスカレートし、とうとう私はイカレタ山女になっていた。
本谷の流れが始まり↑本谷右俣カールの見納めになる。12:32立ち去りがたく振り返る。
それからは、狭い谷のゴーロ帯(↑振り返って撮った)が始まる。ぴょんぴょんと降りていく。が、それも束の間、水量が増え、右岸を慎重に降った。
屏風岩の山容が優しくなる。
二俣に近づくにつれ、さらに水量が増してきた。急流で右岸は降りられなくなり、少し登り返して左岸に渡った。左岸に渡っても降りられなくなってきた。草つきへつりを探してトラバースして進んだ。
もうすぐで二俣に出られると思ったそのとき、2mほどの高さのへつりから滑り落ちてしまった。
どんなふうに落ちたのかまったく覚えていない。気がつけばゴボゴボと水中にもぐっていた。本谷の急流に流されたと思い必死でもがいた。
ふたかき、みかきして気づいた。入水したのは頭と両手だけで、肩から下は幸運にも入水しておらず、体は水辺に残っていた。浅瀬だけれども急流に頭だけ突っ込んで溺れていたのだ。滑稽な姿だったに違いない。
状態を起こすと頭から水がしたたり、上半身ずぶぬれになった。幸い水は冷たくなくて助かったが、しばらく呆然と水辺にへたり込んだ。
ザックから着替えを出し着替えた。このとき腕時計がないことに気づいた。落ちたときにベルトが切れて流されたらしい。愛用していただけに残念でならなかった。(落ちたのは多分
1:45ころ)
気が緩んでいたのだろう、何であれ神様は私のこころの隙を見逃さなかった。とうとう洗礼を受けたのだった。早く来いというのはこれだったのだろうか。
その先は慎重にへつった。二俣(標高2030)に着いたのは2:30だった。
ここからは、以前歩いた道。それでもまだバリエーションルート。急流のゴーロ帯はきつかった。何度も休憩をし慎重に降ったので、本谷橋(標高1800)まで2時間近くかかった。
まだかまだかと歩いたこの間は本当につらいものだった。
ドボンしたときカメラもダメになったと諦めていた。が、試し撮り↑したら大丈夫でほっとした。神様ありがとうございます、と想った。
本谷橋↑(標高1800)が見えたときは嬉しかった。
大怪我でなくてよかった。ドボンしたことも何もかも神様が決めたことなのだと私は思っている。この先は安全であるように神に祈った。
涸沢から降りてきた登山者が私を見つけた。あんなほうから(ヨレヨレで)人が来る、と話しているようだった。私はドボンしただけに、助けられた遭難者のニュース映像のようで格好悪かった。バリエーションルートを甘く見た罰だった。
本谷橋からの登山道は安全で横尾に5:30に着いた。横尾に泊まればいいものを私は何かに取り付かれたかのように徳沢に向かって歩いた。今思えば狂っていた。
秋の日はつるべ落とし。途中で真っ暗になった。さすがにめげた。それでも歩くと決めたのだから歩くしかなかった。
ほうほうの体で徳沢に着いた。6:30だった。受付を済ませ、まずお風呂に入らせてもらう。湯船につかりながら、「自分の足で帰ってこられてよかった」と足をさする。
ここまで来た甲斐があるご馳走だった。ステーキまである。もりもり食べた。
井上靖の「氷壁」の舞台となった宿である。一度泊まりたかったのだ。徳沢園は聞きしに勝る宿だった。
到着が遅かったので、部屋に入ったらもう皆寝ていた。どんな人と同室なのかわからないまま横になった。
部屋は静かだった。が、美しかった紅葉やドボンしたことなどで興奮覚めやらず。なかなか眠れなかった。心なしか足も痛かったし・・・。


















