平成25年8月10日(土)[E:sun]
朝食を済ませ、ヒエ平(一の沢登山口)まで タクシーを使う。(常念坊→ヒエ平まで25分程4900円。今回の相棒である山姥と割り勘)
お盆休暇に入ったからか、登山者が多かった。係のオジサンは、大声で登山届を出すように促している。というか、登山届けを出さないものは通さん!というような、いわば関所で見張っているようだった。
7:00 一の沢登山口(H1300m)から常念乗越(H2460m)に向かって歩き出す。
この道を初めて登ったのは12年前の平成13年夏。その後、平成22年に登り、今回で3回目の登りになる。
12年前の写真を探したらあったあった。アルプス中毒になったのも、これが始まりかもしれないという写真。
このとき一の沢から常念岳~燕岳に初縦走だった。この写真を見る限り晴天で槍も見えているからイチコロだったと思う。今に至っているのはこの時に見た景色が原点かもしれない。
今回も常念乗越まで標高差1160mを登る。いつか着くさ・・・とゆっくり樹林帯を縫うように歩いた。

登り始めて3時間半。胸突き八丁に着。
H22年のときは欲張って大天荘までの行程を立てたので、ここまで3時間で登っている。大天荘まで9時間15分もかかってクタクタだったことを思い出し苦笑いしながら登る。


左)シモツケソウ(バラ科)
右)コキンレイカ 私はハクサンオミナエシと言う。

12:15 5時間10分で標高差1160mを登り切って常念乗越に着いた。山姥に合わせたペースだったけれど私にも楽でよかった。
槍が出迎えてくれていた。やはり槍穂高はこの上ない。好きだぁ![E:heart02] 大好きだぁ![E:heart04][E:heart04]
今夜は、ここの常念小屋泊。
山小屋というものは到着順に夕飯時間が決まる。受付で尋ねると、今申し込むと夕飯は5時だと言う。それでは消灯まで小屋内で時間を持て余す。6時くらいの夕飯になるのを待って1:30頃山小屋に入った。布団2枚で3人という混み具合。
平成13年にここで宿泊しているけれど、ツアーでついてきただけだからか、ぜんぜん記憶が無い。
その3年後には、自分で計画を立て、地図片手にテント担いで蝶~常念や燕~常念と縦走した。この常念乗越で2回テントを張ったことのほうが苦労したからかしっかり記憶に残っている。

夕食を6時にしたので、たっぷり時間がある。3度めの常念岳(乗越から標高差400m)に向けて登る。何度見ても、常念岳は立派である。
結局常念岳の頂上まで行かず、途中で槍穂高をゆっくり眺める時間を選んだ。
眼下には赤い屋根の常念小屋。その北は横通岳、大天井岳と続く。
明朝はこの横通岳へ300強の過酷な登りから始まるけれど、その先の景色を見るには行くしかない。

左)イチヤクソウ
右)ヤマハハコ(キク科)細葉で、花の巻が綺麗。
いずれも、小屋の秘密の場所(一般は立入禁止だったけど不法侵入)で保護されていた。
6時の夕飯を済ませ外に出ると、もう槍穂高は雲に隠れていた。
小屋番に明日の天気を尋ねたら、「どこまで?」と聞かれたので、谷を挟んで真西にある西岳小屋を指さすと、「天気は大丈夫。あの道は今いいよ。楽しんで!」といってもらえ嬉しかった。
最終の夕飯は8時過ぎまであった。よって消灯時間は9時だった。
布団2枚に3人という小屋の予想はハズレ、1人布団1枚が与えられゆっくりできた。


