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平成21年9月23日(水)祝日[E:cloud]/[E:rain]
夜中3時に目が覚めた。寝床が窓側(常念岳側)だったので、半分起き上がってしばらく外を眺める。月が出ているのだろうか?ほの白さのなかに蝶~常念のシルエットが綺麗だった。支度するにはまだ早いのでもう一眠りする。
次に目が覚めたときは小雨降り3時に見た景色はどこにもなかった。今回は稜線からの日の出も夕日も拝めなかった。2日とも。
5時半朝食。日の出が拝めないので皆ゆっくり食事する。
鳥も通わぬ滝谷は結局上から覗けなかった。
6:05穂高岳山荘を出発。
小屋裏に回って白出沢を降り始める。先客が小さく見えた。奈落の底までこのガレ場のようでげんなりだ。
浮石が多く、これといって道があるわけでもなく景色も皆無。そんなガレ場をイヤになるほど(2時間)降った。
笠ヶ岳下山のとき見た白出沢(赤線)↑。この写真を頭に描きながら「念願の白出沢はこうだったのか・・・」とぼやく。
右に荷継沢を見て、樹林帯に入ると荷継小屋跡と思しき石積みがあった。その昔、歩荷が休憩したのだろう。2軒あった。
鉱石沢の道標を左に降りる。登ってくる登山客ひとりあり。かなりしんどそうだった。
鉱石沢を降ると景色が一変↑した。紅葉の中に入っていく。
下の廊下のような雰囲気だった。この景色は想像外だった。
白出大滝の全景は見られなかったが長い滝だった。
天狗沢から雪渓が崩れ落ちていた。まだ新しい。
空が明るくなってきた。この先でコーヒータイムした。しばらくすると後続の登山客がやってきた。とてもいいところだと絶賛しあう。
天狗沢の雪渓はぱっくり口を開けていた。天狗沢の上部を左に上がればジャンダルムに行き着つくようだ。天気だったら細部まで見られたのだろうと残念に思う。
地図に「重太郎橋」とあるのがこの橋↑。9:18はしごで下に降りて白出沢を左岸に渡る。
左岸に渡って振り向くと後続の登山客が降りてきたところだった。
ここからは一般登山道というか歩きやすい道を行く。
この沢で命を絶ったという23歳若者の碑があった。1985年3月29日没とあった。
今朝手向けられたばかりのようなりんどうと栗がせつなさを覚える。
ムシカリの赤い実が綺麗だった。
10:25白出沢出合に到着。穂高岳山荘の車があった。
毎日「今日は楽しかった」の連発だったが、最後に「本当に楽しかったぁ~ありがとう」と大声で言った。それは山と夫へ感謝をこめてだった。
案内板に行程を赤でマーク↑してみた。赤丸は宿泊した小屋。
白出沢出合から林道を降ること30分、穂高平小屋の牧場に出た。
もうお腹がぺこぺこ。小屋でラーメンを注文した。ラーメンを待っている間、冷えたトマトをかぶりつく。1個300円もしたが上手かった。
雨具を脱いで新穂高まで40分ほど歩いて、12:55高山行きのバスに乗った。
高山に出て銭湯に行く。銭湯の親父さんからクマはいなかったかと聞かれた。乗鞍岳のクマのことがあったからだろう。ジャンダルムから落ちたヘリの話も聞かされた。あれこれ批判していたが本当のことはわからない。
何日かぶりのお風呂でさっぱりした。ぶらぶら歩いていたら『高山陣屋』に出た。一度も入った事がないので拝観した。立派なお屋敷だった。
高山といえば飛騨牛。というわけで飛騨牛の焼肉を食べる。
山を堪能し、社会見学(高山陣屋)し、飛騨牛を食し、幸せこの上ないだった。
後半天気が悪かったが、実に楽しい山旅だった。おしまい






















