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平成21年9月22日(火)祝日[E:cloud]/[E:rain]
さて、本番当日になって天気が思わしくない。朝食の席では、「行けるかなぁ?」という話題で持ちきりだった。「行かない」を選んだら、来た道を戻るしかない。そんなぁ殺生な。
私は惑わされるような会話に入らず、とりあえずご飯を食べた。腹が減っては戦はできぬなのだ。
雨具上下をつけ外に出てみる。う~ん、何にも見えない。でも『今日の大キレット日和指数』はレベル2。自己責任で決行。
不安がなかったわけでないが、夫が同行してくれるので心強かった。
「気をつけて行こうね」
「慎重に行こうね」
このまま雨が降らないことを願って、5:50ヘルメットを被り大キレットを降りていった。
確かに歩きやすい道でなかった。どうやって降りようかというクサリ場がたくさんあった。濡れているのでクサリを頼れない。岩に手をかけて慎重に降りた。そんな岩場をひとつひとつクリアしていく。
長いはしごをふたつ降ると最低鞍部2748だった。ガスで何も見えない。しばらく稜線歩きのような感じのところを歩いた。3人が我々を抜いていった。
小雨が降り始める。抜いていった登山客はすぐ見えなくなった。これでは滑落したり遭難してもわからない。頭の中に入っている地図やコースタイムを頼りに高度計や時計を頻繁に見た。とにかく○や×や↑を見失わないように辿る。
両端がスパッと切れたところに出たら先ほど追い抜いていった先客がいた。道標はないが、これは核心部の『長谷川のピーク』だと思った。なるほど緊張する岩場だった。
岩を慎重に探りながら飛騨側によっこらしょと乗越す。掴む岩を探す。足場を探す。
『↴』という矢印が多かった。見落とすとすぐに行く手がわからなくなる。3点確保でペイントに従って慎重に進んだ。
どれほど危険なところに長谷川ピークがあるのか、まったくわからなかった。が、滑落したら危険地帯の飛騨側に落ちるのだということはわかった。
しばらく両手両足で降っていく。対向者とゆずりあうとガイドブックに書いてあったところは、このあたりなのだろう。この日はそういう心配は皆無だった。
ようやく両足だけで歩けるようになったと思ったら『A沢のコル』に出た。小屋から1時間40分が経っていた。
この窓から西に笠が岳を見るつもりだったのだが何も見えなかった。そして本谷左俣からここに上がってくるルートも確認したかったのだが、これもまただめだった。
A沢のコルからは北穂高岳に向かって『飛騨泣き』をよじ登る。これまたホワイトアウトのなか○を探して辿るのみだった。前を行く登山客が目に入ると、あぁあそこかとわかるが、それがなかったらおおよそのルートさえまったくわからなかった。○を見失ったら間違いなく遭難すると思った。とにかく険しい岩山との格闘だった。この辺でソロの対向者に初めて出会った。このあと二人連れとすれ違ったのみだった。
小雨が降ったり止んだりの中、まだかなまだかなと飛騨泣きをよじ登る。このころになると後続に4~5人いることがわかった。が、距離が縮まることはなかった。
高度計があと100、50・・・となってきたころ小屋が見えてきた。
雨の中、9:50北穂高岳小屋に到着した。小屋前テラスには登山客のために雨よけシートが張られていた。
到着したら槍に向かってバンザイでもするかもなんて思っていたが感激もなにもない。お遍路で88番に到着したときのようにあっけなかった。来た道を覗いても真っ白。こんな景色を想像していなかっただけにがっかりだった。
今日始めてザックを降ろして暖かいものを飲む。が、ここは標高3000m。すぐに体が冷えてくる。
9:15、雨降る北穂高岳を通過して涸沢岳に向かった。
北穂を少し降り分岐を通過する。一瞬右上に登山客が見えたので「その道はどこへ行くのですかぁ?」と大声で尋ねる。すると我々は間違えて涸沢カールに向かっていることがわかった。ほんのわずか登り返すだけで助かったが、ホワイトアウトではこんな簡単なことすらわからなくなることを体験した。「ありがとぉ~」と声をかけたときはもう姿は見えなかった。この一瞬を見過ごしていたらどこまで降りただろうと思うとぞっとした。私はまだまだだめだと痛感した。
小刻みにアップダウンを繰り返しながら冷たい雨の中を歩く。この連休に一大テント村ができてるであろう涸沢カールは真っ白で何も見えなかった。
前にも後にもまったく登山客はいなかった。不気味さを感じる登山道だった。特に右手滝谷が不気味だった。○印のペイントも心なしか見つけにくい。浮石には滑落した多くの魂がうようよしているように感じた。絶対にそっちに行くものか・・・と注意を払う。
そんなとき鞍部に一輪のイワギキョウを見つける。不気味さから解放されほっとした途端に寒さを覚えた。雨具の下にダウンジャケットを着た。濡れた手袋も変えた。すぐにぬくもりを取り戻したので早めの対処がよかったことを感じる。イワギキョウに助けられたと思った。
それからまもなくのこと。今度は空腹感を覚える。安全なところで温かいスープを飲んだ。そこがどこなのかまったくわからないが、晴天ならば素晴らしい眺望にちがいない所だと思った。
涸沢槍やD沢のコルもわからないまま、はしごや長いくさりを借りて全身でよじ登った。
すると何だか先で声がする。涸沢岳ピークのようだった。やれやれだった。
11:52、涸沢岳登頂。3度目にしてゴツイ山だということがわかった。
ピークには、奥穂高岳のついでにという登山客がふたりいた。どこから来たのかと尋ねられたので南岳からと答えると、「スゴイですねぇ~」と言ってくれた。そうだったな。私もそう思ったときがあったことを思い出す。ようやく念願かなって南岳からここまで来ることができた。若者に声かけられ始めてバンザイと思った。次々登ってくる登山客に声かけられては「すごい」と連発され、しばし優越感と達成感に浸った。
もう安全な登山道だった。15分ばかり降って12:15穂高岳山荘に到着する。ここではじめてヘルメットを外した。不気味だったり、寒かったり、不安の連続だったけれど、夫が同行してくれたことが無事通過できた要因だったと思う。
今回も1番乗りだった。雨具やザックを乾燥室にかけてから小屋で昼食とした。この天気で押しかける登山客がなかったのか、ひとりに布団1枚づつ与えられた。
天気が悪いので外にも出られず、暖かいストーブの前で山の本を読んで夕食まで過ごした。